大宮と太宰治

 
ご注意

この記事は2018年6月20日に作成されたページです。すでに内容が古くなっている可能性がありますのでご注意ください。

もちろん、大宮なんて出てきません。 「東京人」7月号は太宰治。

没後70年となる太宰治は、大宮にも縁があったという話があります。『人間失格』は、ここ大宮で書き上げられ、亡くなる前日にも大宮を訪れていたとのこと。

筑摩書房の創業者、古田晃と、今も大宮の一宮通りにある宇治病院の初代院長が、同郷(二人とも長野県”筑摩”郡出身。縁戚関係でもあったようです)だったことから、そんな繋がりができたようです。

余談ですが、宇治病院の2代目の院長さんは、世界初の胃カメラの開発に尽力されたことで有名ですね。

氷川参道が「平成ひろば」として整備される以前の、バラックが立ち並ぶ雑然とした様子を覚えていらっしゃる方も多いと思います。今はクリニックになっていますが、参道交番近くに銭湯もありました。

大宮滞在中の太宰治は、カンヅメになっていた住宅にほど近い銭湯へ通ったり、氷川参道を散策したようですから、同じような風景を目にしていたのかも知れません。

駅前の映画館に通ったとも言いますから、ひょっとしたら、現在の銀座通りあたりもウロウロして、本屋をのぞいたりした…かも?。